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今は暗渠となってしまった烏山川。この烏山川沿いに、下流から池尻、三宿、太子堂があります。その辺りの魅力資源をノンジャンルで発掘していきます。地元民には「オシャレな三宿」とかって、納得できませんしね。でしょ?
Posted by - 2025.05.11,Sun
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Posted by ムルギー - 2008.04.11,Fri
1194a45ajpeg国立小児病院はだいぶ前に移転し、今はその跡地にマンションを建築中です。かなり大規模のマンションですね。敷地広いですから。で、その敷地に、かつて渡り廊下だけがなぜかありました。古い病院によくある棟と棟を結ぶ、白い渡り廊下です。小児病院を立て直した時に、なぜか、かつての渡り廊下だけが、そのまま残ってしまったんですね。病院脇の原っぱの中に、曲がりくねった白い渡り廊下だけがある。子供心にそのシュールさに惹かれ、しょっちゅう見に行きました。ほかの子供はあんまり見たことありません。私、変わり者だったもので……。ちなみにイラストの利発そうな少年は、近所でも「虫屋」として有名だった、私です。おそらく、病院裏のケヤキにタマムシが来ているかどうかチェックした後なのでしょう。
※背景に見えるのは、タマムシの来るケヤキです。
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Posted by ムルギー - 2008.04.11,Fri
70ea5121jpeg烏山川緑道を三宿から三軒茶屋方面に歩きます。しばらく行くと、三宿と太子堂の境界になっている道路が交差します。そこで撮ったのが左の写真です。右側にマンションがあります。このマンションの右手前は児童公園です。で、実はこのマンションのある敷地、昔は洋館が建っていました。このマンションの裏手は傾斜しており、さらにその奥に別のマンションが建っているのですが、昔は一筆の土地でした。実際に洋館が建っていたのは、もう少し奥のほうです。で、この洋館、近所の子どもたちの間では「おばけ屋敷」とか「幽霊屋敷」とか呼ばれていました。何しろ人の住んでいる気配がまるでないのです。空き家だったのか、誰かがひっそりと住んでいたのかは分りません。このマンションと緑道をはさんで反対側のブロックは、「下の谷通り」で、緑道と平行して商店街になっています。下の谷通りのお年寄りなら知ってるかもしれませんね。その洋館が一体なんだったのか。
a8ea3850jpegちなみに左のイラストは、記憶をふりしぼって描いた当時の洋館です。ちょっと明るく描きすぎました。木がうっそうとしていて、もっとどんよりとした感じでした。手前の烏山川が、上の写真の緑道です。
Posted by ムルギー - 2008.04.11,Fri
5b6cbb3ejpeg烏山川は自然のままの川→護岸工事された川→緑道と変遷してきました。左のイラストは、護岸工事された烏山川です。場所は三宿神社前あたり。橋の脇には下に降りられるように鉄のはしごがついていました。川のカーブしている場所には土砂が堆積して小さな陸地ができ、草が繁り、アオダイショウがすんでいました。エサはネズミですね。それからときどきどこからか逃げ出したであろう、クサガメが歩いているなんてこともありました。酔っ払いや子供がときどき川に落ちていました。三宿2丁目側の路地に面した場所は柵も塀もなくて、そのまままっすぐ歩いて行くと、川に落ちてしまうんですね。猫とか犬も落ちていましたよ。みんなで大騒ぎして救いだしたりして。それから子猫を捨てる人もいました。昔は多かったんですよ。子猫捨てる人。段ボール箱に入れてね。野良犬も普通にいました。今だったら迷子になった犬だと思われるけど、昔は単に「野良犬」でしたからね。保健所が犬狩にきたりして。まだ狂犬病があった時代ですからね。
Posted by ムルギー - 2008.04.10,Thu
dc2fa1dfgifかつて三宿の中華料理屋「福民」の斜め前に、貸本屋がありました。道路に三方を囲まれた三角地帯です。昔は図書館も少なく人々も貧しかったので、貸本屋がけっこうあちこちにあったんですね。漫画も戦後週刊誌が出るまでは、貸本漫画がメインでした。私も小学生の頃、よくこの貸本屋で漫画を借りました。梅図かずおの蛇女を知ったのも、この貸本屋でした。あと、作者忘れたけど、「トップ屋ジョー」とかね。それから月刊漫画「ガロ」や「コム」もここで借りて読んでました。カムイ伝も夢中になって読みましたね。つげ義春や、その他ガロ系の漫画家にもはまりましたね。少年マガジンや少年サンデーでは絶対読めない漫画のオンパレードでしたから。相当えぐいのもありましたし。小学生にとってはとても刺激的でした。それから本を貸すだけではなく、店頭で古切手を売っていました。ボール紙の台紙に、切手の入った小さなビニール袋がホッチキスで貼り付けてあるんです。当時、小学生の男の子の間で切手蒐集ブームでしたから、私もご多分にもれず、集めていました。実は今でも当時のコレクションとってあります。私の場合は、珍しくて高価なものではなく、デザインで集めてました。恐竜とか魚とか爬虫類とかがデザインされた切手です。
あっ、上の絵ですか?もちろん、つげ義春の「ねじ式」ですよ。ガロといったら白土三平つげ義春水木しげるですね。わたしとしては…。
Posted by ムルギー - 2008.04.08,Tue
三宿神社はタヌキを祀った珍しい神社です。でもお稲荷さんも同じ敷地にあるんだよね。タヌキとキツネのそろい踏みですな。で、その由来は多門寺のようです。もともと寺だったのだけれど、明治政府による一村一社制により、江戸時代に廃寺されていた多門寺を三宿神社にしたとのこと。多門寺は毘沙門天を祀っていたので、三宿神社もそれを受け継いだそうです。どこかのブログには稲の神様を祀ってあると書いてあるし…。タヌキ、キツネ、毘沙門天、稲……。ウーン、よくわからん。
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まあ由来はさておき、昭和30年代の三宿神社のお話。昔は、三宿神社にばあさんが住んでいました。神社の管理をしていたんでしょうね、多分。このばあさんがとても怖いんです。今はありませんが、昔三宿神社yには2つの池がありました。入ってすぐ右に大きめの池、少し入って左側に小さな池。金魚やコイが泳いでいました。お祭りのときに、金魚すくいやコイ釣りでもらった魚を放す人がいるんでしょうね。で、私のような生物の好きな少年は、網を持って捕獲に向かうわけです。三宿神社へ。と、ばあさんがすっとんでくるんですね。どなりながら。あー怖かった。って、怒鳴るの当り前か。ま、いいじゃないですか。昔の純朴な少年なんですから、所詮は。あと、神社に犬がいました。雑種ですね。時々子供産んでました。実は私も1匹もらったことあるんですが、すぐ死んでしまいました。純朴な少年は悲しみにくれました。ああ、合掌……。
尚、イラストは大きいほうの池です。後はさくら幼稚園の壁です。金魚を捕獲しようとしている利発そうな少年は、わたしです。左の方に、子犬が私を慕って集まっているのが見えますね。
追記
三宿神社のお祭りで必ず買った、山吹鉄砲がなつかしいです。あと、大根鉄砲とかね。どっかで売ってませんかね。



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ムルギー
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69
性別:
非公開
誕生日:
1955/11/12
職業:
下等遊民
趣味:
めまいのする散歩
自己紹介:
中国四川省の深山で生を受け、三歳にして四書五経、平凡パンチなどを読破。その後世界を放浪する資金に恵まれず、四川省とは似ても似つかぬ烏山川流域を放浪。水宿を終の棲家と決め、今日に至る。
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