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今は暗渠となってしまった烏山川。この烏山川沿いに、下流から池尻、三宿、太子堂があります。その辺りの魅力資源をノンジャンルで発掘していきます。地元民には「オシャレな三宿」とかって、納得できませんしね。でしょ?
Posted by - 2025.05.10,Sat
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Posted by ムルギー - 2008.04.14,Mon
16a67d25jpeg太子堂は世田谷区でも有数の住宅密集地です。区は災害時の安全確保のために、土地を買っては小さな公園にして、「隙間」を確保しています。なので、このあたりには「○○広場」とか「○○公園」とか名付けられた小さな空き地がたくさんあります。その太子堂を散策してみました。左の写真は廃屋です(住んでいる方がいたらごめんなさい)。誰も世話をしない木が、路地を覆っています。写真ではよく見えませんが、奥に竹藪もあります。赤ちょうちんぶらさげて居酒屋やったら渋そうです。


2c940d16jpeg太子堂の路地の一つです。自転車一台通るのがやっとです。このあたりは関東大震災で焼け出された人たちがどっと押し寄せ、無計画に家を建ててので、多分、このような状況になったのだと思います。けっこうありますよ、このくらいの路地。私なんか路地好きですから、思わず通り抜けちゃうんですけどね。




8b099c72jpegこんなアパートがありました。アパートの真ん中に二階へ上がる階段がいきなりあります。アパートの名称もほとんど読めません。渋いです。ここも改装して、居酒屋にすると趣ありますね。なんか、居酒屋ばっかりですね。
このあたり、探せばいくらでもレトロ物件ありますよ。プロレタリアート系の…。




1c3b561bjpegこんなレトロ物件もあります。
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Posted by ムルギー - 2008.04.14,Mon
474422fbjpeg三宿神社の前の通りを道なりにひたすら歩きます。10分弱ほどで、ケヤキの大木が見えてきます。そこが円泉寺です。円泉寺の由来は…
28a39a89jpegここに書いてあります。読めますか?拡大してくださいね。
で、この円泉寺の前を通り過ぎると、右側に折れた細い路地があります。突き当って左に路地を折れたところが、林芙美子が住んでいた長屋跡です。長屋の隣には壺井栄、繁治夫婦が住んでいました。ひさしぶりに行ったら、かつての長屋はなく、普通の二階屋になっていました。がっかりです。家jの近くなのに、ちょっと行かないとどんどん変わってしまいますね。
ec6b8becjpegこの路地の左側が長屋跡です。写真に写っているのは、太子堂散策中にばったり出会った、小・中・高の先輩、Y氏です。このあたりでは有名人です、多分。
Posted by ムルギー - 2008.04.14,Mon
4b4ac872jpeg葛西善蔵の居住地跡、ちゃんと調べました。まず、最初に三宿へ引っ越してきたのは大正14年の4月20日。三宿122番地で、大工職保科氏の離れです。左の地図の1の場所です。信州屋酒店のすぐ裏ですね。
e3235ab6jpeg現在の写真です。左側手前の家が、信州屋酒店のあった場所です。店の側面になります。その裏手あたりに住んでいたのでしょう。





次の借家は三宿125番地(2番)。同じ年の12月に引っ越しています。よほどひどかったようですね、善蔵のふるまいが。ここも、信州屋酒店まで、歩いて1分もかからない場所です。この路地をまっすぐいくと、烏山川にぶつかります。この頃はまだ護岸工事前ですから、ごく普通の川ですね。
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翌大正15年の7月には、三宿111番地(3番)に引っ越しています。ほぼ、半年に一度の割合で引っ越していますね。死を迎えたのは、この最後の家です。告別式は下谷区谷中天王寺で執り行われました。戒名は「芸術院善巧酒仙居士」。もちろん自分で考えたのだと思います。各場所の現在の姿は、おって追加します。ちなみに以前ご紹介した善蔵居住地の写真は、三宿111番地の少し手前でした。世田谷学園の脇の路地を入った最初の曲がり角のあたりです。
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Posted by ムルギー - 2008.04.12,Sat
……三軒茶屋の部屋は、仕事場として私だけが通った。中目黒から渋谷の大橋まではバス。のりかえた玉電車の三宿の駅で降りると、次第に静かな住宅地が続く。弁当のおかずを持参していないときは途中の小さな天ぷら屋で天ぷらを買った。(中略)小川に沿った道を折れ曲がって仕事場に着く。
六畳、四畳半の和室で、浴室はついていなかった。(中略)まだ居住者が多くない上に、小さな三棟のアパートは、ひっそりとしていた。(中略)
玉電の三軒茶屋の停留所に出るには、古い家並みの低い、妙に暗い感じの細道を通りぬけねばならない。貸し本屋があり、下駄の歯入れ屋があり、豆腐屋があり、コロッケや精進揚げを揚げながら売る、貧乏くさい惣菜屋などが並んでいた。とりの餌や野菜草花のタネを売る店、便利屋、鋸の目立て屋、どれも沈みこんだような小さな店が、今にも崩れおちそうに建っている。(中略)その細道をつきぬけると、三軒茶屋から坂を降りてくる商店街の大通りに出る。その角まで出ると。急に風通しがよくなったような気持ちがしたのだから、あの暗い細道が、妙に風当たりの悪い場所だったにちがいない。

以上、武田泰淳『目まいのする散歩』の中の『いりみだれた散歩』からの抜粋です。
前にも書いたように、三棟のアパートというのは、三宿の都営アパートです。妙に暗い感じの細道というのは、下の谷通りですね。ここには抜粋しませんでしたが、下の谷通りに中国人のやっている安い中華料理屋があり、けっこうお気に入りだったようです。小川というのは烏山川ですね。まだ小川だったんですね。
Posted by ムルギー - 2008.04.11,Fri
6c51e1f0jpeg夏の到来を最初に告げるのはニイニイゼミです。まだアブラゼミもミンミンゼミも現れない頃から、ジージー鳴き始めます。この声は、虫取り少年の夏の始まりでもあります。三宿では、三宿神社の前を三茶方面に進み、都営アパート手前の家の桜の木が、ニイニイゼミの集合場所でした。なぜか、この木なんですね、ニイニイゼミは。セミはどの種類でもバラ科の木が好きなんですけど、アブラゼミは、どんな木にもいます。でもニイニイゼミは桜の木。しかもその家の。
ところが、最近ニイニイゼミまったく見なくなりました。いったいどこへ行ってしまったんでしょうか。アブラゼミもミンミンゼミもツクツクボウシもヒグラシもいるのに、なぜかニイニイゼミはいません。環境の変化に一番弱いのかもしれません。昔はポピュラーなセミだったのに……。
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ムルギー
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69
性別:
非公開
誕生日:
1955/11/12
職業:
下等遊民
趣味:
めまいのする散歩
自己紹介:
中国四川省の深山で生を受け、三歳にして四書五経、平凡パンチなどを読破。その後世界を放浪する資金に恵まれず、四川省とは似ても似つかぬ烏山川流域を放浪。水宿を終の棲家と決め、今日に至る。
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