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今は暗渠となってしまった烏山川。この烏山川沿いに、下流から池尻、三宿、太子堂があります。その辺りの魅力資源をノンジャンルで発掘していきます。地元民には「オシャレな三宿」とかって、納得できませんしね。でしょ?
Posted by - 2025.05.09,Fri
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Posted by ムルギー - 2008.03.31,Mon
b9cdfca5jpegとりあえず、烏山川流域、三宿地域の文豪マップ。バーブ佐竹はおまけ。草間弥生も文豪ではないけど、世界的な知名度はこの中でトップなのでいれときました。そのうち写真でも紹介していきます。ちなみに、晩年を三宿で過ごした葛西善蔵は、肺結核でしかも極貧であったにもかかわらず死ぬまで酒を飲み続け、酒乱でもありました。しかし生涯生活に困窮していた葛西がなぜ酒を飲むことができたのか。三宿以前はわからないけれど、少なくとも三宿時代、つまり晩年は、近所の酒屋「信州屋」のおやじが葛西のファンで、ただで酒を届けてくれていたらしい。葬式には200名もの人が集まり、弔辞は徳田秋声、谷崎精二が詠みました。文壇では「葛西善蔵遺児養育資金」が佐藤春夫、志賀直哉、室生犀星らの協力で集めらます。信州屋のおやじはその葬式を見て、さすが俺の見込んだ作家は大物だったと自慢したそうです。信州屋のおやじは私がまだ小さい頃には元気でしたが、時代を考えると、善蔵ファンだったのはそのおやじさんかもしれません。その信州屋も二年ほど前に店を閉め、あっという間に建売住宅に変わってしまいました。一方では、若者向けのバーや居酒屋がこの周辺にできつつあります。ちなみに地図にプロットした善蔵住居跡は、私が小さい頃、母から聞いた情報によるもの。私が知ってる頃は、しもた屋が並び、おでんの屋台が道端に数台並んでいました。多分、屋台のおでん屋の元締めが住んでいたのでしょう。いずれにしろ、三宿の中でもとりわけ庶民的なedb0bdf6jpeg地域であったことは違いありません。左の写真は善蔵の三宿自宅で撮影されたものです。三宿にいたのは大正14年から昭和3年7月にこの世を去るまでで、この写真が撮られたのは昭和3年2月。この5ヶ月後に帰らぬ人となります。妻子を捨てたも同然に故郷に残し、愛人をつくり、結核を患いながらも酒に溺れ、死へ向けて一直線の暮らしぶり。まあ、こういう人少なくなりましたね。ではまた。

※イラスト、写真はクリックすると大きくなります。
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HN:
ムルギー
年齢:
69
性別:
非公開
誕生日:
1955/11/12
職業:
下等遊民
趣味:
めまいのする散歩
自己紹介:
中国四川省の深山で生を受け、三歳にして四書五経、平凡パンチなどを読破。その後世界を放浪する資金に恵まれず、四川省とは似ても似つかぬ烏山川流域を放浪。水宿を終の棲家と決め、今日に至る。
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