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今は暗渠となってしまった烏山川。この烏山川沿いに、下流から池尻、三宿、太子堂があります。その辺りの魅力資源をノンジャンルで発掘していきます。地元民には「オシャレな三宿」とかって、納得できませんしね。でしょ?
Posted by - 2025.05.09,Fri
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Posted by ムルギー - 2008.04.01,Tue
水の宿る地「水宿」から転じて、「三宿」となったほどに、水の豊かな場所でした。地形を見れば一目瞭然ですが、国道246から三宿、池尻に向かってゆるやかな下り坂となっています。烏山川を境に、今度は上り坂となります。川があるのはその地域で一番低い土地ですから、まあ当然のことですが。今でこそ川が氾濫することはありませんが、暗渠になる前は何回も大水が出ていたようです。数年前の台風では、池尻で床上浸水がありました。これは川の氾濫ではなく、行き場を失った雨水のせいでしたが…。ウイキペディアによると、北沢川と烏山川の合流点付近から大橋付近まで沼沢地帯で、幕末の頃まで「蛇池」、あるいは「龍池」と言われていたそうです。実はその名残が、昭和40年代まで存在していました。通称「三宿たんぼ」です。現在シーアイマンションという大きなマンションが建っている場所、そこがまさに「三宿たんぼ」でした。ですからシーアイマンション着工年を調べれば、「三宿たんぼ」がいつまで残っていたかわかります。で、三宿たんぼですが、渋谷からわすかな距離にあるにも関わらず水が至るところで湧き上がり、まったく濁りのない澄んだ水をたたえていました。一面にクレソンが繁殖し、近所の家庭の食卓にも供されていたはずです。というか、我が家ではよく食べていました。いくらでもあるんですから。「三宿たんぼ」には、誰が設置したのか、尾瀬沼にあるような橋が渡っており、向こう岸へ行くことができるようになていました。その先は細い道に通じていて、近道ができるんですね。ここを通ると。ちなみに私は、時々この橋を通って中学に通っておりました。ここを通ると、東京にいるとはとても思えない気分になるので…。ただし、この池の南側はゴミ捨て場になっており、ゴミの山ができていました。周辺にはごみを運ぶリヤカーたくさん置いてありました。このあたりは、いわゆる「バタヤ」街だったのですね。まあ、この辺りの歴史を発掘していいものかどうか、微妙なところですが…。というわけで、今回は「三宿たんぼ」をクローズアップしてみました。しかし、シーアイマンション住んでる人、知らないだろうなあ、かつてそこが沼地だったなんて。
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左の写真はシーアイマンションです。北沢川緑道から撮影しています。写真には写っていませんが、右方向にに同じ大きさの棟があります。





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HN:
ムルギー
年齢:
69
性別:
非公開
誕生日:
1955/11/12
職業:
下等遊民
趣味:
めまいのする散歩
自己紹介:
中国四川省の深山で生を受け、三歳にして四書五経、平凡パンチなどを読破。その後世界を放浪する資金に恵まれず、四川省とは似ても似つかぬ烏山川流域を放浪。水宿を終の棲家と決め、今日に至る。
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