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今は暗渠となってしまった烏山川。この烏山川沿いに、下流から池尻、三宿、太子堂があります。その辺りの魅力資源をノンジャンルで発掘していきます。地元民には「オシャレな三宿」とかって、納得できませんしね。でしょ?
Posted by - 2025.05.15,Thu
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Posted by ムルギー - 2008.04.02,Wed

5a8f3099jpeg6a898cf0jpeg緑道のカルガモです。カルガモがいつもいるのは、烏山川緑道と北沢緑道の合流地点から、大橋に至るまでの間です。ここのカルガモは住民が餌はやるは、カラスや猫は追い払うは、果てはゴイサギは追いやるはで、すっかり居心地がよくなり、北の国へ帰らずに一年中いるようになってしまいました。まあ、賛否両論いろいろあるでしょうね。私もカルガモ防衛部隊とそうでない住民が怒鳴りあいの喧嘩してるの見たことありますし。まあ、近所にカルガモがいるのは心休まることではありますが…。シラサギも来ますが、あまり人気はないようです。私は神秘的で好きなんですけどね。で、ゴイサギはなぜか嫌われているようです。理由はわかりません。

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Posted by ムルギー - 2008.04.02,Wed
6f758139jpeg正面に見えるマンションは、かつて飯田製作所という町工場でした。というか、ちょっと前まではこのマンションの一階に飯田製作所のオフィスが入っていました。工場だけ郊外へ移転したんですね(倒産してマンションは人手に渡り、今は観葉植物のレンタル会社が入っています)。マンションにする前は、飯田製作所の工場と住居が同じ敷地内にありました。で、誰かの紹介で、長野出身の草間弥生を下宿させることになったらしのです。草間は1954年(25歳)から東京で活動を始め、1957年(28歳)に渡米しているので、ここに下宿していたのはその時期かもしれません。とすると、飯田製作所の飯田家は私の血縁で、家も近いこともあり、しょっちゅう行ききしてましたから、よちよち歩きの私も、彼女に遭遇しているかもしれません。ちなみに道路をはさんでマンションの反対側が、かつて広川弘禅のお屋敷だった場所です。
Posted by ムルギー - 2008.04.02,Wed
6c57fbcejpeg69c15d53jpegこの写真は、世田谷学園の近くに現存する駄菓子屋です。といっても表にガシャポンが置いてあるだけ。店もやてるのかどうか、人が住んでいるのかどうかも分りません。看板を見ると、元牛乳屋のようですが。その他、今は無き三宿近辺の駄菓子屋を紹介します。まずこのあたりで一番有名だったのは、下の谷通り入口にあった通称「がっちゃんこ屋」。ここのばあさん有名でした。子供ぎらいで。なんで駄菓子屋やってたのか不明です。私はここで竹ひごのゴム動力飛行機をいつも購入してました。霧を吹いた後に翼がピーンと張り、しおたれた飛行機に命が吹き込まれる。たまらんですな。
もう一つは「三朝」というとんかつやの隣にありました。「三朝」、昔は蕎麦屋だったんだけど、なぜか最近とんかつ屋になりました。さて、上の地図(きたなくてすみません)を見てお気づきの方もあるかもしれませんが、「ゴロゴロ山」。地図を描いていて、突然思い出しました。今はマンションになっています。そのうち、ここの紹介もします。私が幼少の頃、スキーをしたゴロゴロ山を。お楽しみに。
Posted by ムルギー - 2008.04.02,Wed
50a2e04fjpeg武田泰淳が一時期仕事場に使っていた三宿の都営アパートです。武田泰淳の「目まいのする散歩」の中で、偶然に発見しました。玉電を三宿でおり、そこからアパートにいたるまでが描かれています。で、その描写をたどると、このアパート以外考えられないのです。昔はこのあたりのアパートと言えば、ここしかありませんでしたし。で、仕事を終えた泰淳は、今度は三軒茶屋に向かうんですね。その道すがらも描写されています。名前は出てきませんが、下の谷通りもでてきます。おそらく、都営アパートからちょっと坂を下し右へ折れ、さくら幼稚園、三宿神社の前を通り、さらにまっすぐ進み、途中で左へ坂を下ると、そこが丁度下の谷通りの入り口になります。で、下の谷通りをひやかしながら歩き、そのまま茶沢通りに出て、三軒茶屋の玉電の駅に向かったのだと思います。行きと帰りとなぜ違う駅を使うののか?そりゃあ、なんといっても「目まいのする散歩」ですから。
※この写真はアパートを北側から撮ったものです。アパートは3棟あり、そのどれだったのかは分りません。見えているのは一番北側の棟で、前にさらに2棟あります。
Posted by ムルギー - 2008.04.02,Wed
87f31616jpeg1fbba9bcjpeg左の写真は世田谷学園のすぐ北側の路地です。右側は世田谷学園の生垣です。この路地に入り、正面右側に続く路地が右側の写真です。ここは私が子供の頃にはしもた屋が並び、おでんの屋台が数台並んでいました。夜になると商売に出かけていたのだと思います。で、このあたりに晩年の葛西善蔵は住んでいたようです。これも母からの受け売りですが…。ちなみに、この路地をまっすぐ進むと小さな商店街に出ます。そこを左に折れ、しばらく行くと、信州屋酒店があります(3年ほど前に閉店。今は建売住宅とペット。前に書いたように、そこのおやじさんが葛西善蔵のファンで、生活に困窮していた善蔵に酒をただで届けていました。善蔵の葬式には200人もの弔問客が来て、中には徳田秋声のような大物もいたのですから、三宿始まって以来の大事件ではないでしょうか。さぞかし近所の人は驚いたでしょうね。えっ!そんな有名な作家だったんだっていう感じで…。
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プロフィール
HN:
ムルギー
年齢:
69
性別:
非公開
誕生日:
1955/11/12
職業:
下等遊民
趣味:
めまいのする散歩
自己紹介:
中国四川省の深山で生を受け、三歳にして四書五経、平凡パンチなどを読破。その後世界を放浪する資金に恵まれず、四川省とは似ても似つかぬ烏山川流域を放浪。水宿を終の棲家と決め、今日に至る。
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