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今は暗渠となってしまった烏山川。この烏山川沿いに、下流から池尻、三宿、太子堂があります。その辺りの魅力資源をノンジャンルで発掘していきます。地元民には「オシャレな三宿」とかって、納得できませんしね。でしょ?
Posted by - 2025.05.10,Sat
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Posted by ムルギー - 2008.04.18,Fri
99f8bc9cjpeg三軒茶屋の交差点から茶沢通りを下北沢方面へ。緑道の交差する場所からしばらくいって左側の商店街をまっすぐ行くと、やがて右側に太子堂八幡が表れます。ウエブで調べたところ、太子堂八幡神社の創建時期は不明で、平安時代後期に源氏が陸奥安部氏を討伐する際に立ち寄ったとされ、それ以前からこの地にあったようです。例年10月の第2日曜日付近に行われる大祭は、このあたりでは一番規模が大きく、茶沢通りから参道まで続く露店の数はかなりのものです。ちゃんと昔ながらの飴細工屋とか、七味トウガラシ屋も出店します。そういえば、カルメ焼きはどこへ行ったのでしょうか。好きだったのに…。
さて、その太子堂八幡神社の大祭ですが、昭和30年代には毎年「見世物小屋」が出ていました。テント地で小屋掛けし、その周囲はおどろおどろしい錦絵で飾られていました。これがすごくて、蛇女とか狼少女とか…。で、なんか説明書きもあって、昭和○年に蛇のたたりにあた女がどうのこうのとか書いてあるんですね。リアリティ出すために。入口では白髪、×××(視覚障害者)のじいさんが大きな声で口上を述べ、客引きをしていました。「親の因果が子に報い、生まれましたる蛇女…」とかね。中でやってるのは蛇女とかですね。半裸の女が蛇を加えて、頭をくいちぎって食べちゃうとか。蛇女ではなく蛇を食う女ですね。まだ、こんなん平気でやってたんですね。今ではアンダーグラウンドでしか見ることできませんが。まあ、この頃は福祉政策なんてほとんどなくて、貧しい障害者の人たちが生きていくための生業になっていたんだと思います。欧米のの昔のサーカスなんかもそうだもんね。×××とか×××とか。映画「フリークス」の世界です。

※追記
ウエブで調べたら、花園神社の酉の市とかで、まだ見世物小屋やってるんですね。出し物もやっぱり蛇食い女とかです。伝統芸なんですね。いやー、今度見に行ってみます。
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HN:
ムルギー
年齢:
69
性別:
非公開
誕生日:
1955/11/12
職業:
下等遊民
趣味:
めまいのする散歩
自己紹介:
中国四川省の深山で生を受け、三歳にして四書五経、平凡パンチなどを読破。その後世界を放浪する資金に恵まれず、四川省とは似ても似つかぬ烏山川流域を放浪。水宿を終の棲家と決め、今日に至る。
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