今は暗渠となってしまった烏山川。この烏山川沿いに、下流から池尻、三宿、太子堂があります。その辺りの魅力資源をノンジャンルで発掘していきます。地元民には「オシャレな三宿」とかって、納得できませんしね。でしょ?
Posted by ムルギー - 2008.04.07,Mon
ちなみに多門小学校ができる前には、この一帯は地元民に「山」と呼ばれており、子供にとってはかっこうの探検エリアだったようです。昭和初期に京橋から三宿へ引っ越してきた母の話だと、子供のころはとても怖くて一人で山には行けなかったということですから。まあ、三宿神社は昔からあったようですが、三宿の丘は牧場だったそうです。京橋から引っ越してきた当時は、あまりに田舎なので、さみしくてしょうがなかったと言っておりました。しかし家の裏の丘が牧場で、牛が草をはみ、目の前には護岸工事をする前の烏山川が流れているなんて、男の子だったら最高だと思うんですけどね。うちは烏山川沿いだったので、庭で釣りもできたし、泳げたらしいし。家でその当時の写真を見たことあります。見つけたら掲載しますね。ほんと、どいなかですから。
※上のイラストですが、時代考証も何もしてません。こんな感じかなという想像図です。でも、三宿城を絵に描いたの私が最初かも。他で見たことないし。早いもん勝ちです。
左は三宿城址を烏山川緑道方面から見上げた写真です。車が走っている通りと平行に、もう一本上に上がる坂道が見えると思います。その先の白い建物が多聞小学校の体育館です。つまり、ここが三宿城址です。左側の葉の落ちた木があるところは、三宿神社の隣の墓地です。さらにそ奥に三宿神社があります。神社の隣に墓地があるのは、昔多聞寺というお寺だったからだということです。
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1955/11/12
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下等遊民
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めまいのする散歩
自己紹介:
中国四川省の深山で生を受け、三歳にして四書五経、平凡パンチなどを読破。その後世界を放浪する資金に恵まれず、四川省とは似ても似つかぬ烏山川流域を放浪。水宿を終の棲家と決め、今日に至る。
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