忍者ブログ
今は暗渠となってしまった烏山川。この烏山川沿いに、下流から池尻、三宿、太子堂があります。その辺りの魅力資源をノンジャンルで発掘していきます。地元民には「オシャレな三宿」とかって、納得できませんしね。でしょ?
Posted by - 2025.05.15,Thu
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Posted by ムルギー - 2008.03.31,Mon
b9cdfca5jpegとりあえず、烏山川流域、三宿地域の文豪マップ。バーブ佐竹はおまけ。草間弥生も文豪ではないけど、世界的な知名度はこの中でトップなのでいれときました。そのうち写真でも紹介していきます。ちなみに、晩年を三宿で過ごした葛西善蔵は、肺結核でしかも極貧であったにもかかわらず死ぬまで酒を飲み続け、酒乱でもありました。しかし生涯生活に困窮していた葛西がなぜ酒を飲むことができたのか。三宿以前はわからないけれど、少なくとも三宿時代、つまり晩年は、近所の酒屋「信州屋」のおやじが葛西のファンで、ただで酒を届けてくれていたらしい。葬式には200名もの人が集まり、弔辞は徳田秋声、谷崎精二が詠みました。文壇では「葛西善蔵遺児養育資金」が佐藤春夫、志賀直哉、室生犀星らの協力で集めらます。信州屋のおやじはその葬式を見て、さすが俺の見込んだ作家は大物だったと自慢したそうです。信州屋のおやじは私がまだ小さい頃には元気でしたが、時代を考えると、善蔵ファンだったのはそのおやじさんかもしれません。その信州屋も二年ほど前に店を閉め、あっという間に建売住宅に変わってしまいました。一方では、若者向けのバーや居酒屋がこの周辺にできつつあります。ちなみに地図にプロットした善蔵住居跡は、私が小さい頃、母から聞いた情報によるもの。私が知ってる頃は、しもた屋が並び、おでんの屋台が道端に数台並んでいました。多分、屋台のおでん屋の元締めが住んでいたのでしょう。いずれにしろ、三宿の中でもとりわけ庶民的なedb0bdf6jpeg地域であったことは違いありません。左の写真は善蔵の三宿自宅で撮影されたものです。三宿にいたのは大正14年から昭和3年7月にこの世を去るまでで、この写真が撮られたのは昭和3年2月。この5ヶ月後に帰らぬ人となります。妻子を捨てたも同然に故郷に残し、愛人をつくり、結核を患いながらも酒に溺れ、死へ向けて一直線の暮らしぶり。まあ、こういう人少なくなりましたね。ではまた。

※イラスト、写真はクリックすると大きくなります。
PR
Posted by ムルギー - 2008.03.31,Mon
はじめまして。さて、私が住む世田谷の三宿は、かつて「水宿」と表記されていたそうです。それほど水が多かったのですね。隣町は「池尻」ですし。三宿は1丁目と2丁目しかありません。その間をかつて流れていたのが烏山川です。もっとも今も流れているのですが、暗渠となり、遊歩道として整備されています。烏山川は三宿を通り過ぎ、池尻町に入った辺りで北沢川と合流します。北沢川も今は暗渠です。合流した地点から目黒川になりますが、大橋まではまだ暗渠が続きます。国道246の南側で、ようやく川が姿を表します。世田谷は2つの川によって、大きく3地域に分断だれていることになります。川は文化圏の境目となります。で、私の家のすぐ前を流れる(暗渠ですが)烏山川が、その流域にどのような文化圏を築いていったのか…、その辺を徐々に明らかにしていこうというのが、本ブログの狙いです。などと偉そうに書いておりますが、一体何が発掘でき何が明らかになるのかはまったくもってわかりません。実は何も準備をしないまま、えいやとブログを立ち上げました。でも固いことを言わず、この周辺の面白情報は、ノンジャンルで紹介していきます。でないと多分長続きしませんので…。以後よろしくお願いします。烏山川流域に関する情報もお待ちしております。なにとぞよろしく。
ちなみに、私が持っている情報は自宅近辺の以下のようなものです(おいおいひとつづつ掘り下げていく予定です)。

烏山川流域に住んでいた文化人(一部)

芹沢光治良 (1896~1993) 小説家 1946年に三宿の借家に移転。ちなみに大家は私の家でした。

●葛西善三
(1887~1928) 小説家 晩年三宿に居住。終の棲家となる。ちなみに小説に出てくるS酒店は信州屋という酒屋。二年前に閉店しました。

●林芙美子
(1903~1951)●壺井繁治(1897~1975)詩人●壺井栄(1899~1967)小説家
芹沢光治良の借家の前を西へどんどん行くと、途中で住所は太子堂に変わります。地元で「太子様」と呼ばれる円泉寺の前を通りすぎ、角を右に曲がると行き止まり…、と思いきや、一間もない路地が左側に続いています。ここが林芙美子が間借りしていた二軒長屋です。ちなみに、芙美子の隣には壺井繁治、栄夫婦が住んでいました。

●三田誠広
(1948~)小説家 芥川賞作家
我が家の裏手に今も住んでいます。さすがにコピーの三田の御曹司という立派な家です。

佐藤愛子(1923~)小説家
太子堂に今も住んでいます。

●草間弥生
(1929~)アーティスト
草間がアメリカへわたる前に、三宿二丁目の飯田製作所に下宿していました。なぜ知っているかというと、飯田製作所の経営者は祖母の兄弟だったもので。

武田泰淳(1912~1976)小説家
「目まいのする散歩」の中に、戦後仕事場にしていた三宿のアパートの話がでてきます。私の家の裏の都営アパートです。今もそのままあります。

●梁石日
(ヤン・ソギル)(1936~)小説家
事業に失敗してタクシー運転手をしている頃、三宿に住んでました。どこにいたのかは不明。


では、おいおいということで、なにとぞよろしくお願いいたします。情報もお待ちしております。
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリー
フリーエリア
最新トラックバック
プロフィール
HN:
ムルギー
年齢:
69
性別:
非公開
誕生日:
1955/11/12
職業:
下等遊民
趣味:
めまいのする散歩
自己紹介:
中国四川省の深山で生を受け、三歳にして四書五経、平凡パンチなどを読破。その後世界を放浪する資金に恵まれず、四川省とは似ても似つかぬ烏山川流域を放浪。水宿を終の棲家と決め、今日に至る。
バーコード
ブログ内検索
カウンター
カウンター
Template by mavericyard*
Powered by "Samurai Factory"
忍者ブログ [PR]